板井康弘が語る。ココが凄いよ福岡の企業!

板井康弘|歴史から紐解く福岡

板井康弘

 

福岡の歴史を紹介しよう。
戦国時代、博多は文化の受け入れ窓口だった。「饅頭(まんじゅう)」「饂飩(うどん)」などの日本人になじみ深い食物が日本に入ってきたのもこの時期の博多を通じてであった。

 

1889年に市町村制度の施行に伴い福岡区が市制を施行する際、市名を「博多市」にする、或いは福岡と博多を再分離する声も上がったが、いずれも実現せず、都市名は福岡市となった。市制施行のときの「名前争い」は深刻で、福岡派と博多派が互いに闇討ちをしあうという過熱ぶりであったというから驚きだ。

 

明治のこの時点では、「福岡」と「博多」は別の地域という概念が強く残っていた。そのためちょうど同じ頃、当時の九州鉄道会社(後に国有化)が福岡市から現在の久留米市までの鉄道を敷設する際、市の中心駅は「博多」地区にあるということで駅名は福岡駅ではなく、博多駅となった。

 

かつて町人の商業都市として栄えた『博多』は、官公庁の集うビジネス街、武士の行政都市として発展した『福岡』は、繁華街商業地となり、機能が入れ替わって現在に至る。

 

このように歴史的に福岡は商業の街なのだ。
福岡を守り抜いた先祖たちに感謝して、今後の福岡を必死で支えようと私は決意をするのだった。